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日本人の平均像

退職の間際に見た社員達の真の姿

テーマ:パワハラへの反撃

いいね!(8) コメント(9)

最終出社日の退社1時間前に実行した第3の復讐。
社長宛のメールには、パワハラ課長の告発と、内容証明郵便の全文、新たな怒鳴り事例の記述なども加えた。

さすがに、CCに全社員を入れるのは断念した。
しかし、私はそのメールを、経営陣に個別に送ることにした。

人事部長、経理部長、総務部長、第一営業部部長、第二営業部部長、派遣事業部部長など部長をくまなく網羅した。
その上、副社長、理事、監査役、顧問などとにかく社内で経営に関与していると思われる人間には、すべて送った。

中途社員の教育を担当してくれた60代の佐々木顧問。
彼は、実に親切に、社会人の大先輩としての経験と知識を惜しみなく、講義の中で私たちに授けてくれた。

彼は、会社のために自主独立の気概を持って貢献する人間になれ、と建前上は素晴らしいことを言っていた。
その話に、私は陶酔などもしていた。

彼は、メールなどで相談すると、すぐに返信をしてくれる人間だった。
しかし、私が送ったメールに対しては、完全に無視をした。

私的なメールアドレスも文中に書いて、連絡をくださいとまで書いた。
しかし、そのメールアドレスに佐々木顧問からのメールが来ることは永遠になかった。

私は、幻滅した。
彼もまた、社畜に過ぎなかったのか、と。

所詮、どんなに偉そうなことを言っていても、自分のクビが危うくなることには一歩も踏み出さない臆病さ。
結局、会社からもらう報酬の奴隷に過ぎなかった。

どんなに親しくしていた他部門の社員でも、私のメールにはしかとを決め込んでいる様子だった。
私は、結局、そういう彼らの態度には大きく失望した。

今考えると当たり前のことなのかもしれないが、結局、みんな、自分の社内の地位を危うくしてまで、退社が決まった赤の他人を救う勇気など、これっぽっちも持っていないのである。

結局、会社の人間関係とは、社内で永遠に一緒に頑張っていこう、みたいな暗黙の経済的前提の上に成り立つものに過ぎないのだ。
その前提が外れた途端、そこにはもはや関わりを持つだけの動機もなくなり、全くの赤の他人になる。

私は、このパワハラ会社の退職劇を通して、そのようなごく当たり前の社会人としての「常識」を、再度、強く実感させられたのであった。

もちろん、退社後も、ごく一部(2-3人)の社内の人間、社外に出た人間とは、今でも交流が続いている。
こういう人たちとの関係は、貴重な財産である。

それは、経済的な利害を超えて、真に続く友情に近いものと言っていいであろう。
それは、同じパワハラ上司のもとで怒鳴り声に耐えた者達が持つ、一種の連帯感というようなものが根拠になっている。

さて、当のパワハラ上司であるが、まだ定時の30分前なのに、突然、怒りに満ちた表情でひきつった顔のまま、かばんを抱えてオフィスを出て行った。

あ、多分、社長か誰かから、私のメールの転送を受けたに違いない。
そう確信した。

私は、最後の挨拶するかしないかを迷っていたが、彼から先に出て行ったのであるから、もうこれで挨拶の必要はなくなったと、変な安堵感を覚えた。

そして、私は時計の針が午後5時きっかりになったとき、誰の視線を気にもせずに堂々と席を立ち、静かにオフィスを後にした。
もう、二度とこのオフィスに来ることはないだろう、そう思った。

(続く)

退職の間際に見た社員達の真の姿
テーマ:パワハラへの反撃

いいね!(8) コメント(9)
最終出社日の退社1時間前に実行した第3の復讐。
社長宛のメールには、パワハラ課長の告発と、内容証明郵便の全文、新たな怒鳴り事例の記述なども加えた。

さすがに、CCに全社員を入れるのは断念した。
しかし、私はそのメールを、経営陣に個別に送ることにした。

人事部長、経理部長、総務部長、第一営業部部長、第二営業部部長、派遣事業部部長など部長をくまなく網羅した。
その上、副社長、理事、監査役、顧問などとにかく社内で経営に関与していると思われる人間には、すべて送った。

中途社員の教育を担当してくれた60代の佐々木顧問。
彼は、実に親切に、社会人の大先輩としての経験と知識を惜しみなく、講義の中で私たちに授けてくれた。

彼は、会社のために自主独立の気概を持って貢献する人間になれ、と建前上は素晴らしいことを言っていた。
その話に、私は陶酔などもしていた。

彼は、メールなどで相談すると、すぐに返信をしてくれる人間だった。
しかし、私が送ったメールに対しては、完全に無視をした。

私的なメールアドレスも文中に書いて、連絡をくださいとまで書いた。
しかし、そのメールアドレスに佐々木顧問からのメールが来ることは永遠になかった。

私は、幻滅した。
彼もまた、社畜に過ぎなかったのか、と。

所詮、どんなに偉そうなことを言っていても、自分のクビが危うくなることには一歩も踏み出さない臆病さ。
結局、会社からもらう報酬の奴隷に過ぎなかった。

どんなに親しくしていた他部門の社員でも、私のメールにはしかとを決め込んでいる様子だった。
私は、結局、そういう彼らの態度には大きく失望した。

今考えると当たり前のことなのかもしれないが、結局、みんな、自分の社内の地位を危うくしてまで、退社が決まった赤の他人を救う勇気など、これっぽっちも持っていないのである。

結局、会社の人間関係とは、社内で永遠に一緒に頑張っていこう、みたいな暗黙の経済的前提の上に成り立つものに過ぎないのだ。
その前提が外れた途端、そこにはもはや関わりを持つだけの動機もなくなり、全くの赤の他人になる。

私は、このパワハラ会社の退職劇を通して、そのようなごく当たり前の社会人としての「常識」を、再度、強く実感させられたのであった。

もちろん、退社後も、ごく一部(2-3人)の社内の人間、社外に出た人間とは、今でも交流が続いている。
こういう人たちとの関係は、貴重な財産である。

それは、経済的な利害を超えて、真に続く友情に近いものと言っていいであろう。
それは、同じパワハラ上司のもとで怒鳴り声に耐えた者達が持つ、一種の連帯感というようなものが根拠になっている。

さて、当のパワハラ上司であるが、まだ定時の30分前なのに、突然、怒りに満ちた表情でひきつった顔のまま、かばんを抱えてオフィスを出て行った。

あ、多分、社長か誰かから、私のメールの転送を受けたに違いない。
そう確信した。

私は、最後の挨拶するかしないかを迷っていたが、彼から先に出て行ったのであるから、もうこれで挨拶の必要はなくなったと、変な安堵感を覚えた。

そして、私は時計の針が午後5時きっかりになったとき、誰の視線を気にもせずに堂々と席を立ち、静かにオフィスを後にした。
もう、二度とこのオフィスに来ることはないだろう、そう思った。

(続く)